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勉強会カンファレンス2010に行ってきた

勉強会カンファレンス2010*1に行ってきた。そこでの感想など。 勉強会のメソッドは勉強会の数だけある。共通の問題もあればその勉強会固有の問題もある。それぞれの問題を出し合って、みんなでその解決策を議論するという方法は大変有効な方式だと再認識した。 最後のセッションで、岩切さんが、自分の困っていることをプレゼンしていて、そこからいろいろな議論が湧き上がってきて、非常に盛り上がったが、あんな感じのセッションがわたしにとって理想的な形だと思った。 岩切さんの困っていることというのは、ざっくり言うと、カンファレンスを開いても一列目、二列目の人たちは、笑いもしないし、ぴくりとも動かないし、隣の人といきなり話を始めて、何かを持ち帰っていこうというような感じの人がほとんどいない。それを聞きにくる人を巻き込んで、何かをしたい、だけど日本人だからそれができないかというと、DevLOVEなんかにいくと、とってもいい感じで盛り上がっている。自分が主催するセミナーでそれをやるにはどうすればいいんだろう、というようなことだと理解した。 わたしが、「細かいことは気にしない」という発言をしたあと、会場を交えていろいろな意見が飛び出し、そのライブ感が非常に素敵だった。人を巻き込むというゴールをいかに達成するかという問題に対しては、気にしないというのは解決でもなんでもないのだが、喧々諤々の議論が始まる導火線のような役割をはたした。 様々なアイデアは、会場に桜を仕込んで、いくつか質問をしてもらう。休憩時間を長めにとって、飲み物、お菓子などをふるまい、そこから横のつながりを広げる。個人名刺を作り、裏には、自分の興味のある分野とか個人史を書いて、ここにいるのは誰だということを示す。ネームプレートに興味のある分野を記す。共通の話題を見つけるために、どのようなことに悩んでいるかを挙手を求める。*2 自分も会社で勉強会を開くと、場から質問があんまりでなくて、ちょっと寒い感じがあるし、それをどうにかしたいという思いは一緒なんだけど、「よしおかさんは特別だから…」と、言われちゃったりして、それを松井さん(R社の中の人)に振ったら「わたしも人を増やすにはどうしたらいいんですかねって昔よしおかさんに聞いたら、『そんなことは気にしなくていいんだよ』って言われました」(場内爆笑) ひとそれぞれレベル感の違いがあるとしても抱えている問題というのはあって、それは勇気を出して表現することによって共有でき、共有することによって様々な解決案を考えられる。その問題を解決するのは結局は一人一人なんだけど、同じ問題で悩んでいる仲間がいるということを知るのは貴重な体験である。自分は孤独ではなかったということを知るのは重要だ。 勉強会カンファレンスという場の価値の一つにこの問題の共有というのがあると思う。 海外のカンファレンスでは、あんなに議論が盛り上がり、質問もいっぱい出るのに日本ではまったくそれが出ないというのはなんでだろう。という問題設定があったとき、「日本人の国民性として」とか、ほげほげだからという人のせいにする、あるいは自分が解決できない問題のせいにする人というのは多いが、それは問題の解決にはなんにもならないし、むしろ有害ですらある。自分が達成したいゴール、この場合、カンファレンスで質問ががしがし出るという状況をどう作るか、という問題をみなでどう解いていくか。それをみんなで議論するという方が生産的だし、なによりも楽しい。...

勉強会カンファレンス2010*1に行ってきた。そこでの感想など。

勉強会のメソッドは勉強会の数だけある。共通の問題もあればその勉強会固有の問題もある。それぞれの問題を出し合って、みんなでその解決策を議論するという方法は大変有効な方式だと再認識した。

最後のセッションで、岩切さんが、自分の困っていることをプレゼンしていて、そこからいろいろな議論が湧き上がってきて、非常に盛り上がったが、あんな感じのセッションがわたしにとって理想的な形だと思った。

岩切さんの困っていることというのは、ざっくり言うと、カンファレンスを開いても一列目、二列目の人たちは、笑いもしないし、ぴくりとも動かないし、隣の人といきなり話を始めて、何かを持ち帰っていこうというような感じの人がほとんどいない。それを聞きにくる人を巻き込んで、何かをしたい、だけど日本人だからそれができないかというと、DevLOVEなんかにいくと、とってもいい感じで盛り上がっている。自分が主催するセミナーでそれをやるにはどうすればいいんだろう、というようなことだと理解した。

わたしが、「細かいことは気にしない」という発言をしたあと、会場を交えていろいろな意見が飛び出し、そのライブ感が非常に素敵だった。人を巻き込むというゴールをいかに達成するかという問題に対しては、気にしないというのは解決でもなんでもないのだが、喧々諤々の議論が始まる導火線のような役割をはたした。

様々なアイデアは、会場に桜を仕込んで、いくつか質問をしてもらう。休憩時間を長めにとって、飲み物、お菓子などをふるまい、そこから横のつながりを広げる。個人名刺を作り、裏には、自分の興味のある分野とか個人史を書いて、ここにいるのは誰だということを示す。ネームプレートに興味のある分野を記す。共通の話題を見つけるために、どのようなことに悩んでいるかを挙手を求める。*2

自分も会社で勉強会を開くと、場から質問があんまりでなくて、ちょっと寒い感じがあるし、それをどうにかしたいという思いは一緒なんだけど、「よしおかさんは特別だから…」と、言われちゃったりして、それを松井さん(R社の中の人)に振ったら「わたしも人を増やすにはどうしたらいいんですかねって昔よしおかさんに聞いたら、『そんなことは気にしなくていいんだよ』って言われました」(場内爆笑)

ひとそれぞれレベル感の違いがあるとしても抱えている問題というのはあって、それは勇気を出して表現することによって共有でき、共有することによって様々な解決案を考えられる。その問題を解決するのは結局は一人一人なんだけど、同じ問題で悩んでいる仲間がいるということを知るのは貴重な体験である。自分は孤独ではなかったということを知るのは重要だ。

勉強会カンファレンスという場の価値の一つにこの問題の共有というのがあると思う。

海外のカンファレンスでは、あんなに議論が盛り上がり、質問もいっぱい出るのに日本ではまったくそれが出ないというのはなんでだろう。という問題設定があったとき、「日本人の国民性として」とか、ほげほげだからという人のせいにする、あるいは自分が解決できない問題のせいにする人というのは多いが、それは問題の解決にはなんにもならないし、むしろ有害ですらある。自分が達成したいゴール、この場合、カンファレンスで質問ががしがし出るという状況をどう作るか、という問題をみなでどう解いていくか。それをみんなで議論するという方が生産的だし、なによりも楽しい。

いきなり質問ががんがん出るというのは考えにくいから、小さい勉強会のような場をいっぱいつくり、質問をすることが価値があることだという経験を少しずつしていく、それをひたすら半径5メートルで繰り返す、そのような経験をした人を少しずつ増やしている、というようなことを自分は実践する。そのようなことかと思う。

いきなり見ず知らずの人と話をするのは難しいけど、主催者側として出きることは、休憩時間を増やす、飲み物、お菓子などを振る舞うなどのヒントをもらったので、それを試してみる。そして、それを試行錯誤する。

東京はいいよなあと勉強会がいっぱいあってというスタンスから、じゃあ、自分は何を出来るのだろう、何をしたいのだろう、という問い掛けから、自分に出きることをいろいろ試してみて、やり続ける。それしかないと思う。

世界から東京をみると

1990年代後半、シリコンバレーに行って、その地で働いたとき、至る所でベンチャーが元気にやっていて、いろいろなSIG(Special Interest Group)が定期的に会合をしていて、プロフェッショナルたちがインフォーマルに議論している姿をみて、すげーー、いいなあーーと思ったのだけど、日本には当時そのような自分が求めている場がなかった。日本に帰ってきて、YLUGの人たちとカーネル読書会というのを始めて、自分のできる範囲でできることを続けたきたところ、気がつくと勉強会という形式がごく普通のことになった。

それは、誰かが意図してやったというよりも、同時多発的に自分がしたいことをし続けた人たちがいっぱいいただけだと思う。そのような人たちは、おそらくシリコンバレーはいいよなあ、VCとかいっぱいあるから起業も簡単だし、日本はその点、ほげのげだからだめだよなあ、などというようなことを言って何もしない人ではなく、取りあえずやってみるという人なのだと思う。そして、そのような人たちが世の中を動かしていくのだと思う。

世界から東京をみてみると、しょぼいのだけど、そのしょぼさを評論家的にあーだこーだ言ってもしょうがない。同様に、東京は大都市で、勉強会がいっぱいあっていいよなあと言うだけでは解決にならない。地方に勉強会が成立しないみたいな前提で話をする人がいるが、日本全国津々浦々頑張っている人はいっぱいいるし、自分でできる範囲でいろいろ工夫をして、地方の強みを生かした運営をしている人はいっぱいいいる。そのような工夫をしている主催者の皆さんには「東京が羨ましい」というだけの言葉では届かないと思う。

自分は、こうしているのだけど、こーゆー問題で困っている。という設問には力があると思う。

自分がいるところには、いるところなりの問題点や課題がある。それを自分が変えられないもののせいにするのではなく、自分が出きることによって解決していくという姿勢で乗り越える。

オランダ戦の日の勉強会カンファレンスを終えて

勉強会というメソッドをどう進化させていくか。勉強会主催者の初心者からベテランまで、それぞれのステージの中でどう進化させていくか。企業の中で、コミュニティの中で、地域の中で、それぞれどう進化させていくか。勉強会というメソッドを利用しながら、勉強会共通言語(パターンランゲージ)の開発をより深めていきたいと思った。

勉強会カンファレンス2010で採択した勉強会憲章2010

勉強会をより進化させるためには、言語化(形式知)する必要がある。そこで、懇親会の時、川口さんがアジャイルの話をしていたのを受けて、Agile Manifestの勉強会版を作ろうということで勉強会憲章(Manifest)というのをみんなで考えた。ほんの数分間で、作り上げたもので、いろいろご批判もあると思うし、そもそもマニフェストなんかは必要ないという方もいると思う。そのような思いの方も含めて広く議論したいと考える。*3

  • 勉強よりも学習
  • 技術より情熱
  • 聞くより喋る
  • Ustreamよりリアル
  • テーマより人

言語化することによって、議論を精緻にすることができる。議論によって自分たちの理解が深まるし、目指すものが見えてくる。

カンファレンスのような、同じ問題意識をもった違ったバックグラウンドの人たちが集まるという場そのものの価値は実際にリアルにあってフェースツーフェースで議論することだと思う。それは自ら学ぶという姿勢であり、テクニックではなく情熱であり、単に聞くのではなく語ることであり、インターネット中継ではなくリアルに話すということであり、テーマその物よりもそこにいる人と問題や情熱や価値観を共有することだと思う。

憲章というおどろおどろしい(?)言葉に、傲慢さ、傲り、を感じるむきもあると思うが、これをきっかけに何かの議論が始まればうれしい。

いろいろ気づきがあった、勉強会カンファレンス2010であった。

会場を提供していただいた日本工学院、大谷先生、USTでお手伝いいただいた学生さん、そして参加していただいた皆さん、どうもありがとうございました。

*1http://atnd.org/events/4955

*2:お菓子を振る舞うというのは、まっちゃだいふくメソッドとして広くしられているのだが、コンビニのお菓子を持っていって、「まっちゃだいふくメソッドですね」と言ったら、まっちゃさんに、「違います(きりっ)、まっちゃだいふくメソッドはあらかじめ、お菓子を買いにいくんです。コンビニのお菓子じゃないんです」と怒られたことがあるw

*3http://d.hatena.ne.jp/wayaguchi/20100620/1277006649

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